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管理人の、Misaです。
ここでは、当サイト「After school | みんなの放課後.com」の運営者、Misa自身についてご紹介していきます。
Misaについて
私「Misa」についての簡単なご紹介。
「Misa」のプロフィール
名前 | Misa |
名前の由来 | 旦那さんの苗字(夫婦別姓) |
出身地 | 東京都 |
現在地 | 沖縄県 |
年齢 | 30代前半 |
血液型 | AB型 |
趣味 | 読書 ヨガ 旅行 |
好きな食べもの | 納豆 お味噌汁 チーズ |
好きな飲みもの | コーヒー |
好きなタイプ | 博学な方 |
東京生まれ、現在は夫と二人で沖縄暮らし。20歳の誕生日に初めて沖縄旅行した際に移住を決意。30歳で引っ越ししました。
アウトドア・インドアどちらの活動も大好き。アウトドアは特に海外ひとり旅とマリンスポーツ、インドアは読書やヨガがすきです。
気づくと、仕事ばかりしてしまう悪い癖があります。自戒の意味も込めて、やるべきことを終えた放課後時間を大切にすることを心がけたいと思い、ブログのタイトルにしました。
「Misa」の略歴
小学生 | 両親が離婚、父親の自己破産、借金まみれの母親と弟と夜逃げ |
中高生 | 一軒家から一転、団地生活始まる |
大学生 | 自立。文学部日本文学科卒業 |
社会人① | 印刷会社勤務 営業職(2年間) |
社会人② | 私立の中高一貫校勤務 国語科の先生&大学で研究職(9年間) |
社会人③ | 学童クラブ勤務 支援員 ヨガインストラクター |
不幸話を話すのも聞くのも苦手なので、あまりオープンにしたことはないですが、なかなかに壮絶な学生時代を過ごしました。
でも、こんな人生を歩んできたからこそ見つけられたもの、感じられたことがたくさんあったなと思います。大人になった今では、若い頃のたくさんの苦労に感謝できるようになりました。
小学生
離婚前から両親の仲は悪く、私の小学校入学式の日は、家を出て行った母を父が追いかけ、両親不在。
近所のお友達の家で、友達の式服をかりて、一人撮った写真が残っています。うっすらとした記憶しかないけれど、悲しそうな笑顔の写真です。
両親が離婚なんてよくある話ですが、自営業だった父親の自己破産による多額の借金による引っ越し。当時はよくわかりませんでしたが、あれは絶対、夜逃げでした…。
中高生
小学6年での転校だったせいもあったのか、転校先でいじめに合いました。
年齢が上がるにつれて、私も強くなり、みんなも大人になり、いじめはなくなりましたが、女の子たちのめんどーな関係は続きました。
そんな時の心の支えが「読書」でした。さらに、「貧乏人は勉強しろ!」という簡潔鋭利なビートたけしの言葉に感化され、自分の人生を変えるためにひたすら勉強しました。
高校の時に、厳しくも優しい国語の先生と出会い、将来の夢「国語の先生」が決定。図書委員を務めながら、ほとんど誰もいない図書室で「源氏物語」を読みふける高校生でした。
大学生
奨学金をかりて大学進学。
大学4年間、本当に楽しかったー!!!!
中学の時に、百人一首と出会ってからというもの、時間があればずっと読んでいました。
千年も前に生きていた人たちの言葉であるはずなのに、移ろいゆく季節に心を動かすこと、人ととの別れを惜しむこと、誰かに恋焦がれること、それらの感情が、現代と変わらぬものであると感じた衝撃が、私を文学への道に引き込んで行きました。
社会人① 営業職を2年間
社会を知らないまま、先生になるのもなあという気持ちが大きくなり、就職活動しました。
いつか辞める会社への就職活動なので、緊張することもなく、どんどんエントリーシート提出、面接の日々でした。
最終面接まで行ったのが8社。2社内定。それ以外は、全て落ちました。中間は騙せても、トップは騙せないんだなって、妙に納得したことを覚えています。
大手住宅メーカーと中小印刷会社。個人相手の住宅メーカーよりも、法人の相手をしたいと思い、印刷会社入社。
出会いに恵まれて、新人ながら営業トップに。印刷会社だけあって、様々な業種の方と交流でき、まさに社会勉強たくさんできました。
社会人② 国語の先生9年間
社会人経験を2年積み、高校生の頃に抱いた「国語の先生」になる夢を叶えようと動きました。
営業で外出した際に時間をやりくりして、カフェで転職サイト/履歴書とにらめっこ。私立校に書類提出、面接。最終的に男子校と気づかずに応募した学校に採用されました。
朝から晩まで、ずっと学校で過ごす日々。受験のための教科教育に奮闘する日々。
やるべきことが多すぎて、疲労が溜まり、思考力も弱まり、軸もブレブレになり・・・。
たくさん考えて考えて考え抜いて、高校1年から3年間担任してきた学年の卒業と同時に、私も国語の先生からの卒業を決めました。
社会人④ 研究者5年間

営業職から教職へ、転職するきっかけとなったのは、大学時代の恩師からの一報でした。
私の在学中はまだ講師だった先生が、何と若くして准教授となることが決まり、研究室もできるとのこと!
研究助手として大学に戻ってこないか、というお誘いがあって本格的に転職を決めました。
本当は、大学院進学を考えていたのですが、金銭的にその夢は絶たれていました。そのことをよく知ってくれていた恩師の一言に、歓喜したことを覚えています。
しかし、研究者という道のりは苦難の日々でした。相当、鍛えられました。
社会人⑥ ヨガインストラクター

長年の夢で、楽しかった「国語の先生」を辞めました。趣味で始めた「ヨガ」の資格を取得したことをきっかけに、大手ヨガスタジオに転職。フロント業務兼インストラクターしています。
次の目標は、「日本にキッズヨガを普及すること」です。詳しくはブログで。
社会人③ 学童保育支援員

教育からは離れようかな・・・と思ってはいたものの、ちょっと気になっていた小学生との関わり。
中高生はある程度、固まってしまっている部分もあり、小学生はどんなもんだろう?という疑問がずっとありました。
その疑問への好奇心がむくむくと膨れ上がり、現在は学童保育でアルバイトをしています。
学童保育は、親が働いている小学生の放課後の安心・安全のための時間を提供するお仕事です。ブログのタイトルのAfter School はここからも着想を得ています。
子どもだけではなく大人も、「したいこと」をしている時の人というのは、本当にイイ顔をします。
でも、「やるべきこと」に追われているうちに、「したいこと」を見つけられなかったり、そもそも「したいこと」を見つけることって、難しかったり・・・。
すべての人の放課後時間が豊かになったらいいのになという思いを込めて、ブログを書いています。